「型と組手」
型(形とも)と組手は、空手の基本構成であり、昔からこの二つを練習することが基本となっている。しかし、いずれが主であるかは、時代と共に変化してきている。かつては型の修行に最も価値がおかれていたが、近年では試合制の導入などにより組手重視の傾向にあり、またそれゆえ、両者の乖離(かいり)が問題ともなっている。
型(形)とは、一人で演武する空手の練習形式である。各種の技を決まった順序で演武し、演武時間は型によって数十秒から数分間続く。修業者は型の練習を通じて、空手の基本的な技や姿勢を身につけるだけでなく、組手などへの実践応用に必要な空手独特の身体動作を身につけることができるとされる。
組手は、主に二人で相対しておこなう練習形式である。決められた手順に従って技を掛け合う「約束組手」、自由に技を掛け合う「自由組手」、さらには勝敗を目的とした「組手試合」が存在する。
「剛柔流 型」
剛柔流の型は、同じ東恩納寛量門下の許田重発の東恩流と比較して非常に多い。撃砕などは宮城長順による創作としられているが、伝系不明な型も多い。
【撃砕(ゲキサイ)第一または初段】
【撃砕(ゲキサイ)第二または弐段】
全日本空手道連盟基本形
剛柔流の多くの道場で、一番初めに習う型。昭和15年に宮城長順が創作。
後に撃砕第一を一部変更したものが普及形二として、当時の沖縄県に採用された。
突きや受け、転身(体さばき)、立ち方などの基本的な動作がバランスよく採り入れられ、かつ破綻なく紡がれており、空手を行う上での基礎体力を養うのに適している。
ちなみに撃砕第一は基本的に手を正拳に握って使うが、第二では開手を使用し、動作も若干高度になっている。
【サンチン(三戦)】
「サンチン立ち」に象徴される、剛柔流の背骨とも言える型。
「サンチン」とは、立ち方のみならず、伸ばす筋肉と曲げる筋肉を同時に働かせる事で任意の関節をロックし、外部からの衝撃に対する耐久力を高める技術全般の事を指す。
【テンショウ(転掌)】
突きが繰り返し使われるサンチンに対し、殆どが受けの動作で構成されている珍しい型
サンチン、転掌は共に単純な動作の型であるが剛柔流の基本思想は辿っていけばここに行き着くと言っても過言ではなく、高段者でも、常にここへ立ち返って確認するほどである。
六機手→転換手→転掌と名が変わる。
宮城長順の考案(制定)型。
【サイファ(砕破・最破)】
全日本空手道連盟第一指定形
猿臂(肘)を多用する比較的短い型。東恩流にはない型であり伝系は不明。
【サンセイルー(三十六手)】
宮城長順の同門である許田重発だけが、この型を東恩納から習ったとされる。
宮城長順は兵役に就いていたため、サンセイルーを習うことができなかった。
「許田のサンセイルー」を記録した8ミリフィルムが最近まで残っていた。剛柔流のサンセイルーの伝系は不明であるが、おそらく宮城は許田から習得したと考えられる。
【セイユ(エ)ンチン(制引戦・征遠鎮)】
かつては「制引戦」と書いてこう読ませたが、戦前、当時の世相を反映して軍事色の強い表記に改変され、現在に至っている。旧い方の名前が示すとおり、襟や手首などをつかんで引きつけようとする相手を想定した技が多く含まれる。
柔の要素が強く、蹴り技が全く存在しないのも大きな特徴である。
この型も東恩流にはない型であり、宮城が誰から習ったかは不明である。
【シソウチン(四向戦・士壮鎮)】
セイユンチンと同様の事情により「四向戦」と言う表記から、このような表記となった。動作の大きな受け技が目を引くが、これは恐らく長物との戦闘を想定しての事であろうと思われる。
シソウチンも東恩流にはない。剛柔流のシソウチンの伝系は不明である。
【セイパイ(十八手)】
全日本空手道連盟第一指定形
全ての型の中で最も柔の要素が強く、発祥が南部の黄河流域ではなく、北方や西方の砂漠地帯であるとする説もあり、実際剛柔流に限らず、空手の型としてはかなり異彩を放っている。
大抵どんな武術も、その地域の気候や風土に合わせて変化、改良されてゆくものであるが、このセイパイは、大陸から伝わったものが、殆ど手を加えられずに原型を留めていると言われる。この型も東恩流にはなく、伝系は不明である。
【セイサン(十三手)】
全日本空手道連盟第二指定形
セイパイを柔の型とするならば、こちらは剛の型の最右翼と言ってよい、非常に動作の激しい型であり、突きを得意とする人が好んで練習する傾向のある型である。
【クルルンファー(久留頓破・来留破)】
全日本空手道連盟第二指定形
この型も東恩流にはなく、伝系は不明である。
【スーパーリンペイまたはペッチューリン(壱百零八手または百歩連)】
剛柔流最高峰とされる形。本来は上・中・下の三つの形から構成されると言われ、現在の同形はそのうちの一つと言われている。 別名ペッチューリンとも言われるが、類似の別形も存在する(東恩流のペッチューリン)。
許田重発によれば、東恩納は「ペッチューリン」を教えたのであって、スーパーリンペイではなかったと言う。それゆえ、剛柔流のスーパーリンペイの伝系は不明である。